「大学だより‐北海道大学‐」解説 : 数学専攻の沿革

東屋五郎教授(現在インディアナ大学名誉教授)による「大学だより‐北海道大学‐」は,雑誌「数学」第20巻第4号(1968年10月)に掲載されています。東屋教授は多元環(algebra)の研究で世界的に知られており,その中でも東屋教授の名前に因んだ東屋環(東屋アルジェブラ)は特に有名です。さて,同記事は北海道大学数学教室のそれ迄の歴史,その当時の課題,将来構想を述べたものです。以下,実際の文を引用しながら同記事の内容を紹介します。

同記事では,まず「河口商次教授のみが残られて教室が解散した」という文に象徴される昭和21年頃から数年に亘る数学教室の混乱について触れています(注1)。次いで,数学教室の再建が,昭和27年から具体的に始まり,従来の4講座が

第一講座      中野秀五郎
第二講座      河口 商次
第三講座      泉  信一
第四講座      東屋 五郎

なる担当教授をもって完結した事(注2),更に数学教室の改組拡充により昭和43年に計7講座が

位相解析学講座   雨宮 一郎
幾何学講座     桂田 芳枝
函数方程式論講座  白田  平
代数学講座     東屋 五郎
函数論講座     倉持善次郎
多様体論講座    鈴木 治夫
整数論講座     都筑 俊郎

なる担当教授をもって発足した事を紹介しています(注3)(注4)。
当時の問題意識として,確率論と統計学の講座の新設と優秀な学生の確保について具体的に述べられていますが,これは現在にも通じるものと言えます。

記事の最後では,「かなり長期間にわたる集会」を「快適な北海道」で開催し,「夏期の涼しさという財産を全国の数学者が利用」する事を呼びかけています。更には「札幌に基礎数学研究所」を設置するという構想を提案し,全国からの支援を訴え記事の締め括りとしています。

(注1)
昭和24年6月
吉田洋一教授   立教大学に転出
功力金二郎教授  大阪大学に転出
穂刈四三二助教授 東京都立大学に転出
稲垣武助教授   岡山大学に転出
稲葉栄次助教授  お茶の水女子大学に転出
昭和25年5月
守屋美賀雄教授  岡山大学に転出
(注2)
昭和27年4月
中野秀五郎教授  就任(東京大学より)
昭和28年
東屋五郎教授   就任(名古屋大学より)
昭和31年4月
泉信一教授    就任(東京都立大学より)
(注3)
昭和37年3月
泉信一教授    日本大学に転出
昭和38年1月
中野秀五郎教授  米国ミシガン州ウェイン州立大学に転出
昭和41年3月
河口商次教授   退官
(注4)
昭和38年7月
雨宮一郎教授   就任(東京理科大学より)
昭和39年8月
白田平教授    就任(大阪大学より)
昭和42年4月
倉持善次郎教授  就任
鈴木治夫教授   就任(九州大学より)
昭和42年10月
桂田芳枝教授   就任
昭和43年4月
都筑俊郎教授   就任(名古屋大学より)