「数学専攻外部評価資料」(平成10年5月8日,北海道大学大学院理学研究科・理学部 点検評価委員会)より

理学研究科の理念

昭和5年に創設された北海道大学理学部の設置趣旨には,農・工・医の三学部は「総テ応用ノ科学ニシテ,之ガ研究上常ニ其ノ基礎ヲ理科学ニ置カザルベカラザルモノトス,———故ニ本学ニ理学部ヲ増設シ其ノ研鑽ニ俟テ是等諸学科ノ進歩発達ヲ図ラントスル」と書かれている。この主旨は今日でも変わらない。

近年,科学技術の国際的水準は急速に高度化しており,これに対応した科学教育及び研究の在り方が問われている。我が国は明治以来,欧米先進諸国より近代科学技術を導入することに力を注ぎ,特に第二次世界大戦後,先進諸国の水準に迫るべく努力を重ねてきた。戦後の学制改革に伴う新制大学は高等教育の大衆化をもたらし,技術革新と我が国経済の発展を支える科学技術者の育成に多大の貢献を果たしてきたことは疑いない。しかし,この間,世界は環境問題,食糧問題,資源の枯渇等,極めて厳しい状況に直面している。科学技術において世界水準に達した我が国は,科学技術の導入・応用に偏重し,基礎的な科学技術の創造に乏しいことが指摘されている。

現在,我が国が求められているものは,自らの自由な発想に根ざした独創的な基礎科学を推進し,それを支える人材を育成することである。この要請を満たすものこそが大学院における教育研究であり,20世紀の大部分を通して行われてきた学部教育を主体とした小講座のもとでの教育研究システムではこの期待に応えることはできない。

理学研究科は自然科学の基礎を教育研究するところであるがゆえに,時代の変化を超えた人間の知的好奇心から生まれ出る真理の探求を第一としなければならない。このような理学自身の持つ特異性こそが,これからの世界の福祉に貢献するものであると考える。

これらのことに鑑み,北海道大学大学院理学研究科では,新しい世紀に向けて次のような理念を掲げて理学における教育研究を行う。

  1. 多様で独創的な研究を推進し,新しい先端的な基礎科学を創り出す。
  2. 国際的な広がりのある教育研究を推進し,国際社会における貢任を果たす。
  3. 単なる知識集積型ではない,本質的な判断能力を持ち,かつ独創的一な問題発掘能力を備えた人材を育成する。
  4. 科学技術立国を支える高度な専門的知識を持ち,かつ学際性豊かな人材を育成する。
  5. 学部においては,専門分野の基礎的な知識に裏付けられた斬新な問題提起能力を持つ人材を育成する。

数学専攻の理念

数学専攻の設置の趣旨・目的

数学は自然界の様々な対象,現象から抽象化されて出てきた数学的対象を研究する学問である。その研究の成果である理論・表現・記述の体系は,その普遍性ゆえ,自然科学,工学は勿論,社会科学や人文科学,さらには最近急激な進歩を遂げているコンピュータ科学の基礎ともなっている。数学はその内部から発せられる動機による研究に加えて,物理学をはじめとするいろいろな科学分野から触発された問題を研究することにより発展してきた。そしてその成果はもとの科学分野に還元され,さらにその分野の発展を促すという関係がしばしば成立する。この意味で数学は最も基本的な基礎科学ということが出来よう。明治以来我国は基礎科学において大きく欧米の研究に依存してきたといわれる。しかし数学においては江戸時代の和算家達を生み出した土壌もあり,20世紀前半からはいくつかの分野ですでに世界をリードしてきており,今日では世界に注目される研究が次々と生まれている。高度に発達した科学技術に支えられた工業国の道を歩む日本が数学を含む基礎科学の研究の発展に力を尽くすことは国際社会に対する責務であり,また強く期待されているところでもある。

重点化以前の北大理学部数学科は,代数学,幾何学,解析学及び応用数学の数学研究を行ってきて,それぞれの分野で特徴ある業績を上げてきた。最近の数学における進歩は著しく,整数論に代表される伝統的な理論数学の著しい高度化とともに,代数解析学,微分方程式の解の幾何学的研究などに象徴されるように,複数の分野の技法や概念が絡み合って総合的に研究される重要な領域が拓かれてきている。また,量子力学とヒルベルト空間,非線形現象と微分方程式,複雑系と力学系に代表されるような純粋数学と関連諸科学との境界領域の研究の発展など研究分野の著しい多角化が進行している。さらに,コンピュータの急速な発展により,神経回路網等の複雑系や高度化された数学の難しい証明過程をモデル化して計算機の中で追跡する実験数学と呼ばれる分野も成立している。

当数学専攻は,伝統のある数学分野のみならず上記関連諸科学との境界領域における研究も数学の重要な1分野と考え,専攻の名称を数学専攻とした。これらの数学研究の飛躍的発展を期するために,当専攻はゆるやかな分野別の構成による大講座制をとることにした。そして開かれた自由な研究環境の中で特色ある優れた研究を活発に進め,発展させることを目指している。

教育面では,地元の北海道をはじめとする全国の学習・研究意欲の旺盛な学徒に広く門戸を開き,高度に発達した現代の科学技術社会で活躍できる有為な人材を養成して世に送り出すとともに,次代の多方面にわたる数学の研究を担う研究者を育成することを目標としている。

数学専攻の設置の経緯と特色

本学における数学の教育研究は,昭和5年の理学部設置時に数学第一と第二の2講座からなる数学科が置かれた時点に始まる。以後次第に整備拡充されて7小講座の体制を持つに至った。その間,昭和28年に修士・博士課程を有する理学研究科が設置され,その中に数学専攻も置かれることになった。本学においては教養部を官制化せず,一般教育の数学担当教官が理学部に所属して大学院での教育・研究にも参加するという体制が長い間続いた。そして平成3年度の大学設置基準の大綱化を契機として全国的に起こった教養部制度の廃止を含む大学の機構改革の流れの中で,本学では数学科の学部担当教官と教養部における一般教育の数学担当教官とが完全に1つの組織に融合する選択をした。

重点化以前の数学科における教育・研究は小講座制で行われてきた。しかし今回の理学部の大学院重点化にあたり,純粋数学分野と上記の境界領域において独創性ある優れた研究を育て展開していくためには,今までの古い教育研究体制から脱皮する必要があると考え,数学科は3つの大講座と1つの協力講座(電子科学研)をもつ数学専攻として再出発することになった。しかし数学の教育・研究を今後活発に,効果的に展開していくためには,大講座といえども講座の壁をめぐらせて閉鎖的になるのは望ましくない。当専攻ではこの点に配慮し,委員会方式を導入して教室運営の一本化・集中化を図った。併せてこの機構の合理的で能率的な運営により教育・研究のための時間を最大限確保することを期している。

学部教育に関しては,(1)行き届いた教育を行う為のカリキュラムの見直し (2)ティーチング・アシスタント制度を活用したきめ細かい教育の実施,(3)数学講読(演習:2単位必修)を各期ごとに開講して最小限の演習体験を義務づけるとともに,希望する者に対しては毎期の受講も可能であるようにした。

大学院教育に関しては,
(1)博士前期課程入学試験で筆記試験を課さず,書類選考とレポート及び面接による試験を導入した。
(2)博士後期課程への進学について,資格試験制度を導入した。
の2点が特徴として挙げられる。これらは次のことを考えて導入された。

  1. 数学科出身の学生に加えて,理学部の数学科以外の学科,工学部,教育学部等の出身の学生に対して広く門戸を開くこと。
  2. 意欲と潜在能力のある博士後期課程進学希望の学生に対して,基礎学力を充実させることを要件として進学を認めること。
  3. 能力のある学生に対しては,できるだけ早い時期から実質的に博士後期課程の学生としての指導をはじめることを可能にすること。

数学専攻は次の3講座+1協力講座よりなる。

講座名
講座の内容
代数構造学 整数の性質に始まる体や環の構造,数学の対象の変換に始まる群の構造などを 研究する代数学は,幾何学や解析学とも密接に関係して発展している。この講座では整数論,群論,環論,代数幾何学,ホモロジー代数等の分野の教育と研究を行っている。
空間構造学 重要な空間の概念は多様体で記述される。この講座では,微分幾何,トポロジ一,複素多様体論,特異点論等の分野の教育と研究を行い,多様体の局所構造,および大域的性質を研究している。力学系,葉層構造,接触構造などを微分方程式との関連において幾何的に調べる。
数理解析学 この講座では,作用素論,微分方程式論,確率論,計算数学,実験数学等の分野の教育と研究を行い,併せてこれらの応用面を重視する。作用素論は古典力学の量子化に動機をもち,微分方程式は変分法,相界面の発展の記述,確率論は自然現象や社会現象の予測に威力を発揮する。計算数学,実験数学では,複雑系の数理,神経回路網モデル等を教育研究する。
情報数理
(協力講座)
この講座では,非線形数学の研究を行っている。特に自然現象にみられる種々のパターンの形成,境界相の形成など動的に変化していく様の数学的研究,実験数学的研究を行っている。