岡潔 (1901-1978)

多変数解析函数論に関する世界的業績で知られる岡潔博士は,北海道大学理学部数学教室に二度滞在しています。その一回目は昭和10(1935)年7月から9月,当時在職していた広島文理大学の夏季休暇中に当たり,パリ留学中(1929-1932)親交を深めた中谷宇吉郎教授の招きによるものでした。理学部の元応接室を研究室として正則領域に関する研究に取り組んでいましたが,ソファーで眠っている事が多く,理学部中で評判となり,とうとう吉田洋一教授夫人に「嗜眠性脳炎」なるあだ名を付けられるに至りました。この様な状態が続き,そろそろ広島に帰る事を考え始めた頃,突如「上空移行の原理」を発見し,それが後のクザンの第一問題,第二問題の解決につながりました。

二回目は,昭和16(1941)年10月からの理学部研究補助員としての滞在でした。その前年には広島文理大学を辞職しています。数学教室では功力金二郎研究室に勤務し,在職中の約一年の間,「不定域イデアル」の着想を得ています。その後,郷里の和歌山県紀見村に戻り,谷口豐三郎氏や岩波書店の援助を受けつつ研究に専念する生活が昭和24(1949)年奈良女子大学に職を得る迄続きました。

参考文献
岡潔「春宵十話」毎日新聞社
岡潔「春風夏雨」毎日新聞社
岡潔「日本のこころ」講談社