開拓使仮学校初代校長 荒井郁之助 : 数学教室の沿革

荒井郁之助 (あらいいくのすけ) 数学者

天保 7年(1836) 江戸に生まれる
安政 2年(1855) 箕作阮甫門下で蘭学を学び始める
安政 4年(1857) 幕府軍艦操練所で軍艦操練、測量、洋算を学び始める
万延元年(1860) 甲賀源吾と共に高等代数、高等幾何、微分積分学の研究を始める
〜軍艦操練所世話心得、教授方出役、教授を経て〜
文久 2年(1862) 軍艦操練所頭取に就任
元治元年(1864) 講武所取締役に就任
慶応 3年(1866) 幕府海軍奉行に就任
慶応 4年(1867) 榎本武揚と共に司令官として箱館に向う

江差・開陽沈没
「蝦夷地共和国」の誕生

明治 2年(1869) 榎本武揚と共に東京に護送される

嗚呼鬼の回天骨ばかり
戌辰戦争・宮古港海戦

2年半の獄中生活に在って「英和対訳辞書」 (36,000語収録) を完成させる
明治 5年(1872) 榎本武揚と共に赦放される
開拓使仮学校校長に就任
明治 7年(1874) 北海道測量に着手する

近代的地図の曙へ

明治 10年(1877) 東京数学会社 (日本数学会、日本物理学会の起源) 創立に際し社員となる
明治 16年(1883) 内務省測量課長、中央気象台初代台長に就任
明治 20年(1887) 新潟県三条町で日本初の皆既日食の撮影に成功する

日食観測コーナー

明治 42年(1909)

(以上 小松醇郎「幕末明治初期数学者群像」吉岡書店による)