RCIM LETTERS Vol.2 No.2 (2010年2月)

RCIM LETTERS Vol.2 No.2   e-prints

RCIM LETTERS Vol.2 No.2  (15.5MB)

北海道大学 大学院理学研究院 泉屋周一教授 インタビュー Web版

数学連携研究センター設立当初より運営委員および兼務教員として参加されている本学理学研究院 泉屋周一教授に、本センター設立時の経緯、数学と他分野との連携に関する考え方、先生のご専門の特異点論等についてうかがいました。インタビュアーはレターズ編集委員長でもあるセンター兼務教員 寺尾宏明教授が務めました(文中敬称略)。

寺尾 どうぞよろしくお願いいたします。今回は数学連携研究センター(Research Center for Integrative Mathematics、略称:RCIM)発行のRCIMレターズのVol.2 No.2のために泉屋先生にインタビューさせていただきます。前から企画していたのですが、ご出張等お忙しくて年が明けましたけれども、よろしくお願いいたします。

泉屋 よろしくお願いします。

RCIM設立の経緯

寺尾 まず、こちらのセンターは発足してから1年9カ月くらいになる訳ですね。泉屋先生は最初からメンバーでいらっしゃいます。私もそうだけれども、このセンターに参加されている方はいろいろおられて、数学からが一番多いですけれども、それ以外にもいわゆる連携先の方も沢山、人獣共通感染症リサーチセンターの方等も参加されておられますね。一方、数学から参加されている方は、数理系、代数系、幾何系、解析系とあって、一般的な分け方としては数理系がわりと応用色が強くて、残りの三つは純粋数学を核として、その周りにあるという。泉屋先生は幾何系でいらっしゃいますよね。幾何系でここに参加しておられるということの意義というか、どういうようなスタンスで参加しておられるかというのをうかがえますか。

泉屋 というかむしろ、なぜ最初から参加したかというのは歴史的な経緯がありまして。いわゆる21世紀COEプログラム「特異性から見た非線形構造の数学」(以下、21世紀COE)が採択になった時に、それ以前から北海道大学は理論総合棟という構想が今の津田センター長を中心にあって、大学の中に理論系の研究所を作りたいというのがもともとの願いだったと思うんですけど、21世紀COE発足の時にそれを目指しましょうというのが一つの目的でした。その時に私の関係で、広中先生(広中平祐教授・1970年フィールズ賞受賞)に、「4年後にできれば日本の第2研究所を作りたい。」ということをメールでお知らせしたら、「第2研究所のことまで考えて頂いてありがとう。」という返事を頂きました。それで、第2研究所を作るなら、京都大学の数理解析研究所を第1研究所とすると、違う傾向のものを作ったほうがいいというアドバイスを受けたんです。例えばフランスのInstitut des Hautes Etudes Scientifiques (IHES) なんかは非常に小さい研究所であったけれども、研究者が好きなことをできるような雰囲気があったということも言われて、その経緯で21世紀COEが終わった時に、何らかの研究所ないしセンターを作らなければいけないのかなというのは、ずっと21世紀COEの5年間思っていたことだったんです。それで山口さん(山口佳三・本学理学研究院長・センター兼務教員)とか西浦さん(西浦康政・本学電子科学研究所教授・センター兼務教員)のご尽力で発足するということになって、もう当然参加しなければいけないかなというような気持ちがその時からあって、それで参加しました。

寺尾 なるほど。そうすると、数学連携研究センターというのは、スタンスとしては21世紀COEでやったことを継続するような色彩が強いのですか。

泉屋 現在どうなっているかは別として、センター設立を立案した西浦先生と山口先生が発足当時、大学当局と交渉したときには、21世紀COEの成果を踏まえて、それの継続として形として残すんだという話だったと思います。

純粋・応用・連携

寺尾 私自身は21世紀COEに参加していたわけではなくて、途中というか、終わりに近い時点で北大に戻ってきたということがあるもんですから、その辺の経緯はよくわからないのです。そうすると、これは純粋な疑問なのだけれども、21世紀COEの中ではいわゆる純粋数学の人は純粋なことをやっていればいい、応用っぽい人は応用をやっていけば良いということで、そのスタンスは今も受け継がれている、特に、純粋の人であっても連携を意識した研究をやることが求められているのではないと考えて良いということでしょうか。

泉屋 私はそう思ってるんですけど。なんで連携という名前がついたかということもその頃いろいろあったかと思います。けれども、21世紀COEを通して、数学連携研究センターの特色というのは、単に数学だけをやるわけじゃなくって、また応用だけをやるわけでもなくって、他の分野と色々繋がると。21世紀COEのプロポーザルの時とかそのあと申請したグローバルCOEも全部そのスタンスでやって、大学の執行部もそういうふうに認識していて、設立するならば、そういう立場でやらないと特色がでないんじゃないかということで、連携という名前がついたのではないかと認識しているんですね。だからと言って、そこに所属している人が縛られるものでは決してないと思うし、津田センター長も最初からそういう認識でいて、所属している人は好きなことやって下さいということだと思うんですけれども。

寺尾 いわゆる純粋数学という言葉がありますよね、定義は難しいけれども。純粋数学者の場合は、よく使う言葉だけれどもcuriosity-drivenというか、好奇心が推進力となってやっていくと。ちょっと図式的な言い方だけれども、例えば応用数学とか、企業内の数学の研究者の場合は、非常に具体的にいうと、パテント(特許)とか或いは企業の利益とか、そういうところと関係してくるというか、多少モチベーションが違う部分もありますね。つまり純粋から応用までスペクトラムが非常に広いけれども、それについては、純粋数学者として連携センターに参加しているということは、研究しているときに、応用を意識していることもそんなになくていいってお思いですか。私は自分自身のスタンスとしても、迷いがあるんだけれども。少なくとも純粋数学をやるにしても頭の隅っこのどこかで応用を意識してやるっていうこともあっていいのではないでしょうか。それとも、特に必要ないと思っていいのですかね。

泉屋 いや、人によって捉え方が違うと思うんですけれども。私は別に純粋だとか応用だとか、それは関係ないと思っています。なんというのか、分けるとしたら抽象度の違いかしらというくらいにしか思ってない。同じ科学なんだから、科学に対する興味の持ち方というのは、数学であろうが、物理であろうが、語学であろうが、経済であろうが、持ち方は同じはずなんですよね。でも持ち方が同じなんだけれども、まあ、そのなんていうのかな、同じなんだから気にする必要ないんじゃないかな、というのが私の考えです。だからモチベーションが、例えば生物だったら津田さんみたいに脳の構造を調べたいということを目的としてるか、それから(その中の)数学のある種の構造を調べたいということを目的としているか、それの違いだと思う。それだけの違いだから、その人がこれをやりたいと思うものを、別に、場合分けをする必要がないというのが私の立場で。だから連携という名前が付いているからちょっと誤解されちゃう面もあるかもしれないけれど。数学の中でも例えば幾何学と代数学、幾何学と解析学というのは連携でもあるし、応用でもあるし、というのが私の基本的なスタンスです。

数学と物理学

寺尾 私もそうなるのが一番やり易いとは思うんだけれども。みんなが各自自分の基準を持っていて、その基準に従ってやっていけば自然とそうなる、というのがいいと思う。でもやはり研究所と銘打ってやるからには研究所全体としての方向性というのはある程度あるのかなという気がしてうかがっているんだけれども。例えば、純粋数学をやっていてもだんだん物理と関係して物理寄りになったりしますよね。そうすると前にあるロシア人の数学者に言われた事だけれども、数学である以上、純粋である以上、極端に言えば、どれが大事でどれが大事でないということはない、すべてが大事だ。ところが、物理に応用するということになると、やっぱり大事な対象と大事でない対象があって、これは大事であってこれは大事でないということがある。つまり数学以外の要素が価値評価に入ってくるような話を聞いて、なるほど物理に応用すると思えばそうなんだなと思って。そういうことをあまり考えなくっても、それは物理に限らずなんでも良いんですけれども、インフルエンザでもいいんですけど、インフルエンザに応用出来るか出来ないかということによって、価値が上がる下がるということをある程度は考えておられますか。

泉屋 ええと、私は例えば最近物理と関係する研究をしています。物理学と数学と違うのが何かっていうと、物理学って絶対自然現象が先にあって、自然現象に合わせてものを考えていかなければならないというのがある。けれども、数学はそうでないという面がありますよね。それは数学の良いところで、自由さがそこにある訳ですよ。だから私は数学者だから、別に自然現象に合わせる必要はなくって、そこから論理的に帰結されるすべてのことを、できればですよ、すべて網羅して分かれば、その中に自然現象に対応したものもあるんじゃないかなという感じで、無理にそこに合わせる必要がないというのが基本的なスタンスです。

寺尾 それは全くおっしゃる通りです。

泉屋 ここは数学の研究所だから、そういうスタンスの中でみんないろいろやっていけばいいんじゃないかなと思うんです。もちろん自然科学の応用のために数学の技術や理論を開発するんだというのもすごくいいと思うんですが、別にそうじゃない人がいてもいい。

寺尾 ただ、そうじゃない人の場合も、どこか頭の隅にそういうことをおいて、どこかと関係しそうだなということが、たまたまあるじゃないですか。例えば純粋に全くやっていても、よその人が統計学にちょっと使ったとか、そういうことありますよね。もしそういうことがあったら、こちらから手を伸ばして繋がっていこうみたいな姿勢は、やはりその研究所に属している以上、ある程度必要なのかなと。その程度なのかな、というふうに私自身は思っている。そうでないと変わらないような気がしちゃうんですよね、ふつうの数学者と変わらなくなっちゃう。そうでもないですか。

垣根を低く

泉屋 私は、数学って古代から他の分野との連携で成り立ってきたんだと思うんですよ。20世紀になって少し抽象化されすぎてなんとなく孤立してしまっているような印象を受けているけれども、でもよく見てみるとそうじゃなくて、どこかに絶対繋がってるはずで、それを追求していけばいいんじゃないかなと思うんですよ。私は他の分野とは全く関係ないんだと思って研究している人は本当にいるのかなと。

寺尾 それはいるんじゃないかな。分野は言えないけれども。

泉屋 それはおかしいと思うんですよね。

寺尾 非常に狭い分野で、人と関係ないっていう分野もあるんじゃないですか。

泉屋 それもある種の自然現象の一種でしょう。

寺尾 実は繋がっているかもしれないけど、垣根を高くしている人はやっぱりいる。塀を高くしていて外のことはあまり見えなくてその中でやっていると。それはそれで素晴らしいし、でも外からみると割と使えそうだとか、綺麗な色や役に立つおいしい野菜が作れているということもあるかもしれない。けれど、その人はその中で消費しているということもありうると思うのね。外のマーケットがあるんだったら、垣根が低ければ、よそからも見えるし、よそにも簡単に受け渡しができるから、そういうようなopen-mindednessみたいな、垣根の低さみたいな、そういうところが最低条件なんですかね。それはどうしても必要かなと思っている。本来そうあるべきだといえば全くその通りなんだけれども。

泉屋 それはその人の研究のスタンスではなくて社会的な関係だと思うんです。だから自分は自分の興味のあることをやっている、でもちょっと他の人と関係する努力をするというくらいのことだと思うんです。

寺尾 だからそれは連携サロンとかありますよね。いろんな所の話を聞くというのは、聞いたからと言って自分がすぐにできるわけではなくとも、少なくとも垣根を低くするというか、外の世界を少し見るということの役には立っていると思うのね。それが実は結構大きなことで、完全にcuriosity-drivenでやっていたとしても、繋がる機会ができた時にそれを逃さないというか、外の人とジョイントできる機会があるかなと、私自身はそんなふうに思っているんですけど。

泉屋 数学連携研究センターのシンポジウムと銘打って、今、画像理論の研究集会(注1)を情報系の人たちと一緒にやっています。その人たちと話をすると、例えば数学者が無理にそっちに歩み寄る必要はないと。むしろそれこそ垣根を低くして、数学の研究をしますよ、皆さんも来て参加して話をお互い聞きましょう、という方が有難いと、そういう感じで言われたことがあるんですよね。だから無理してこっち(数学者)がそっち(相手)に合わせるというよりは、自分達がこういう研究をしていてこういうことがわかったということを知らせる。それで数学の良いところは、「ここまでならこれは正しい。」とか「ここから先は正しくない。」ということがはっきり言えるということが、他の分野に貢献できるものだと思うんです。だから自分のスタンスを変える必要はなくて、もうちょっと、だから皆さん来て下さいという感じですればいいんじゃないかなという、そういう研究所であれば。

寺尾 出会いの場とか、垣根を低くする場所という意味での研究所ということですね。

(注1) 北海道大学数学連携研究センターシンポジウム “ Mathematical Aspects of Image Processing and Computer Vision.” 第1回(2000)-第10回(2009)

新しい叢書

寺尾 ところで、どこかの出版社から叢書のようなものを出すという計画があるということですが。

泉屋 きっかけは、21世紀COEがちょうど終わる頃に共立出版から21世紀COEの成果をいくつかまとめてシリーズにしてみてはどうでしょうかという話があったんですね。私は、共立出版でいくつか教科書を書いているのでそれの関係で、話がきたと思うんです。だけど、ちょうど21世紀COEも終わっちゃうから、数学連携研究センターというのが今度後継としてできますよと話をして、そこからのシリーズとして出すのはどうでしょうか、という提案を向こうにしたのです。向こうも考えますと言って。センター発足後、最初の運営委員会で、そういう話がありますけれどといったら、ではお任せしますので進めてください、という話になったのです。だけど、向こうの担当者が若い人で企画会議に出したら色々言われたらしくて、それでなんとなくもうちょっと待って下さいという話で、ずっとペンディングになっていたのです。去年の11月頃に、私の違う知り合いから、担当だった人がなかなか(センターの出版の)話を進められないから、もっと数学担当の専門の人を担当にさせますからと言ってきました。新しい担当者は前に教科書を書いた時、お世話になった人で。その人がやり手で、12月になったら何回も何回もメールでどういう計画ですかと聞いてきて。そこで急に話が具体化して、シリーズの案を考えておいて下さい、というのが今の状態です。

寺尾 内容的には、もちろん数学連携研究センターの叢書ということなので、数学の話ももちろんあるし、数学連携研究センターに入っている、一つの例で、人獣共通感染症リサーチセンターの方であるとか、いわゆる数学でない方の、数学と連携する方のものとか、バラエティに富んだものが出るということで。

泉屋 そうです。最初思っていたのは、蔵本レクチャー(蔵本由紀・前21世紀COE特任教授による“振動場のダイナミクス”)がありましたよね。それを誰かがまとめて書けばいいかなと思ってたんだけど、でもちょっと前になったのでどうなるかわからないけれども。あと坂上先生(坂上貴之・本学理学研究院教授)のさきがけで研究(注2)していることの紹介とか、そういうようなこととか。あとは、蔵本先生みたいに集中講義みたいなのに来てもらって、それをまとめるようなものも含めたりとか。例えば、ちょっとイメージしているのは慶応大学のレクチャーノートシリーズ(Seminar on Mathematic Sciences)みたいなものがありますよね。あれをもうちょっと立派にした感じで、まあ出版社だから、売れるような内容にして、と思っていて。数学者の本当に専門的な本も含まれていてもいいし、応用みたいな、具体的に応用された成果を一般向けに解説したりするということもあるし。

寺尾 所属教員の書いたものとかあるいは、数学連携研究センターを舞台にシリーズの講演をして頂いたりとか、ここで関係した方が執筆したものが出る、という。

泉屋 例えば連携サロンで話をした人に、その内容を膨らませてテキストを書きませんかという感じにしてもいいし。

寺尾 ペースとしてはどのくらいを考えてるんですかね。

泉屋 どうでしょうね。あんまりバーっと出しても続かなくてもよくないですから、年に1冊、2冊出せればと思います。

寺尾 年に1冊出ればちゃんとつながりますよね。

(注2) 「水圏環境力学理論の構築(坂上貴之)」、科学技術振興機構による戦略的創造研究推進事業のもとにおこなわれているさきがけ(個人型研究プログラム)内の 研究領域『数学と諸分野の協働によるブレークスルーの探索』(研究総括:西浦康政・北海道大学電子科学研究所教授・セン ター兼務教員)に おける研究プロジェクト。

オオルリオサムシに夢中

寺尾 少し話題を変えますが、若い頃どうだったとか、どうして数学やるようになったかをお聞きしたいと思います。泉屋さんと私は大体同じ世代なので、同じようなころに同じようなステージだったと思います。数学をやりたいと思ったのは中学とか高校とか結構早いんですか?

泉屋 高校生の時ですね。小学校・中学校の頃はすごく昆虫採集が好きで。北海道出身ですが、世界中で、この辺にしかいないオオルリオサムシという、特殊な羽が退化しているので、その地方、その地方で場所によって全然違う、非常にマイナーな虫に夢中でした。

オオルリオサムシ 写真提供:駒澤正樹

寺尾 場所というのはどの程度のスケールで違うんですか。

泉屋 例えば札幌市と旭川市で違う形態でいるという。それを集めるのが好きで。すごく綺麗なんですよ。玉虫色していて。なんか知らないけれども、非常に特別なものが好きだったんですよ。

寺尾 それって誰か先輩とやっていたんですか。

泉屋 友達と一緒に調べました。

寺尾 それが北海道にしかいないというのはどうしてわかったんですか。

泉屋 図鑑に書いてあって。中学校時代も友達がいて昆虫採集ばかりをやっていたんです。でも中学校の途中から天文学が好きになって、天体観測みたいなのも一生懸命やって。それもまたちょっと特殊なのが好きになって。普通、宇宙について調べたら、遠くのものの方がいいというふうに思うかもしれないけれど、私は何故か木星が好きで、木星のスケッチばかりしてたようなことがあるんですね。高校に入ってから、ひとつは体力的に、農学関係の昆虫・生物をやるんだったら山の中を走り回らなければならないし、それから天文学というのは山の上に行ったりして、徹夜して観測しなければならないし、それはちょっとしんどいなと思い始めました。それと一番大きいのは、高校の時はいわゆる高校紛争の時代でして…。

寺尾 ちょうど60年代の終わり頃ですね。

泉屋 それこそ今、連携なんて言ってるけれども、なるべく世の中と関係ないことを将来仕事にしたいと思ったのが一番のきっかけです。偶然1年生とか2年生の時に、3年生のひとたちに混ざって模擬試験を受けたら数学の成績が一番良かったんです。それで数学は面白いかな、と思った。それと『ガロアの生涯―神々の愛でし人(注3)』を読んで、ちょうど革命するとかなんとかという時代だったから、あれを読んで、大学とは関係なくすばらしいガロア理論を作って、恋人のために決闘して死んだというのにすごくあこがれました。その頃の感じとしては、いろいろと大学が問題視されていたから、研究するんでも研究者になるよりは、どこかで倉庫番かなにかをしながら数学をやる、というのが理想だったのです。

寺尾 そうすると仕事というのは倉庫番で、趣味は数学?

泉屋 趣味というのとはちがって、本来の「仕事」は経済的な利得をえてはいけないという変な考えを持っていて、そう思って大学に入ってきたんですけれども、まあいろいろあって。

(注3) L.インフェルト著、市井三郎訳 第2版、日本評論社、1969年。

北大生の頃

寺尾 ご出身は北大ですよね。北大に入るときは数学科ではないですね。

泉屋 北大は理類です。でも数学科に分属したいという希望で。

寺尾 最初からそういう希望で。そこから先は迷いなしですか。

泉屋 一応、迷いはないです。きっかけはそうだったんですけど、やっぱりだんだん成長してくるとそうはいかなくなってきて。結局、高校や大学の紛争を見ていたら、その当事者もそんなに純粋でなくて醜いんだということがだんだん分かってきて、じゃあ同じじゃないかという感じになってきて、話はだんだん変わって。もともとは生物とか天文学が好きだったから、ちょっと応用がかったことにも少し興味があって。話としては非常に特殊なものが好きだったので、それでなんとなく。

寺尾 それは、実例とかですか。

泉屋 ひとつのものに絞って、ということです。全体を見るのではなくて。

寺尾 ああ、木星なら木星に絞って。

泉屋 そういうのが好きだから、それで今、なんとなく特異点論という特殊な分野に絞って。

寺尾 特異点論にしようと思ったきっかけというのは?最初は、普通の幾何と言ったらおかしいけど、幾何ですよね。ここにおられた鈴木治夫先生(本学名誉教授)が指導教官だったんですよね。

泉屋 もともとは代数幾何をやりたいと思ったのです。でも誰もいなかった。

寺尾 中村郁先生(本学理学研究院教授)は?

泉屋 まだいなかった。高校時代、あるいは学部1年生の時だったかもしれないけれど、上野健爾先生(京都大学名誉教授)の解説が雑誌に出て、代数幾何というのは非常に発展している分野でという文章があって、それを勉強したいなと思いました。だから学部生の頃は、前田先生(前田芳孝・本学理学研究院准教授)とセミナーをやってたんですよね。でも前田先生は整数論だから、代数幾何でも代数的な方向に興味があったみたいで、彼もだから幾何学的な方面は知らないし、お互い知らないからっていうんで本を読んでた。

寺尾 マンフォード(注4)か何か読んでたんですか。

泉屋 いや、ヴェイユのファウンデーション(注5)を読んでたんですよ。でも代数の話ばっかりで。結局4年生になってセミナーを選ぶときに、ヒルツェブルフ(F.0Hirzebruch,0Professor Emeritus, University of Bonn)のTopological Method in Algebraic Geometry(注6)というのを勉強したいと言ったら、誰もがいやだって言って。微分幾何の先生のところへ行ったら、僕はそんなの分からないと言われたし、鈴木先生のところへ行ったら、こんなもの読むよりは、と敬遠されてホモロジー論の本をまず読みなさいと言われて、4年の時ホモロジー論の本を読んだのです。

寺尾 そこからはどうしても代数幾何だっていうのを考えて、よその大学院とかに行こうとかは思わなかったのですか。

泉屋 行こうかなと思ったんですけど、名古屋大学受けて落ちたんじゃなかったのかな。

寺尾 でもその頃は、鈴木先生のところでやろうかなと決めてたんですね。

泉屋 代数幾何のことを勉強していたので、代数多様体みたいなのに興味があったのです。ミルナー(注7)を自分で勉強して、こんなことおもしろそうだと思って勉強して、マスターに入学決まった時に、鈴木先生にこれからこういうことやりたいと言ったんです。そうしたら、でもこの分野だともうすごく発展していてこれからやろうとするのは大変だから、むしろトム(Rene0Thom:1923-2002)のやってる方が多分これから発展するからいいんじゃないか、というアドバイスを受けて。鈴木先生とか、その時助手でいた安藤先生(安藤良文・山口大学理学部教授)にも言われて、そこでちょっとぱっとまた変えて。

寺尾 結果的には…。

泉屋 結果的には良かったと思いますけど。そのころそういうことをやってたのは、今、日大にいる福田先生(福田拓生・日本大学文理学部教授)が最初で、福田先生も鈴木先生の弟子なんですよね。ほとんど誰もいなかったです。ちょうどマザーの理論(注8)というのがようやく本(注9)になった時期で、それを一生懸命読んだのがマスター1年生の時代です。

寺尾 その辺は鈴木先生がご専門という訳でもないでしょ?

泉屋 専門じゃないんです。あの頃、鈴木先生はすごく偉くて、弟子に自分と同じことさせなかったんですよね。だから私とか、神島さん(神島芳宣・首都大学東京理工学研究科教授)はまた違うし、下の三波君(三波篤朗・北見工業大学情報システム工学科教授)は力学系やってたし。みんな代々違うことをやっていて、先生も興味をもって面白そうなことやらせて自分も勉強しようと、そういうことだと思うんですけれども。

寺尾 そうするとセミナーはどんな感じだったんですか。

泉屋 一応、テキスト読んで、論文読んでっていう。

寺尾 鈴木先生も本当の専門家ではないけれども、それなりに議論してという感じですか。問題なんかは自分で見つけた?修論は?

泉屋 修論は、結局は安藤先生がデュプレイシスという今デンマークにいる人の出たての学位論文(注10)を貰ってきて、それをまずテキスト読み終わった後、読んだんです。それに関して、鈴木先生が群が作用している場合どうなるかということも考えられるんじゃないかといって、修論はそれです。いろんなことをやろうと思って問題にあたったんだけど、みんなうまくいかなくて。結局最後は、先生がこんな問題あるんじゃないか、といわれて。

寺尾 でもそれがうまくいって。

泉屋 それがうまくいって。でも、それってグロモフ(Mikhail Gromov, Permanent Professor, IHES) の学位論文の続きの話だったんですよね。その頃はグロモフのことなんて、なんだか訳のわからない理論があるというぐらいだったんで。大変だったんです。結局はそれでちょっとあんまり。そのトムの勉強してたからトム関係の話をやりたいというので、修士論文と博士の1年の途中まで修論の続きをやって、また、ぱっと話をかえてトムの傾向の話に、特異点のローカルセオリーに転向したんです。その頃就職決まっちゃったから。

(注4) D. Mumford. Curves and their Jacobians, University of Michigan Press.1975.

(注5) A. Weil. Foundations of Algebraic Geometry. Providence. 1962.

(注6) Springer.1966.

(注7) J. S. Milnor. Singular Points of Complex Hypersurfaces. Princeton UP. 1969.

(注8) J. N. Mather. “Stability of C∞-mappings I~IV.”, The Annals of Mathematics, Second Series, Vol. 87, No. 1, 1968; The Annals of Mathematics, Second Series, Vol. 89, No. 2. 1969;Publications Mathematiques de L’IHES. Vol. 35, No.1, 1968; Publications Mathematiques de L’IHES. Vol. 37, No. 1. 1969.

(注9) M.Golubitsky and V.Guillemin. Stable Mappings and Their Singularities. Springer. 1974.

(注10) A. du Plessis. “Homotopy Classification of Regular Sections.” PhD diss. University of Liverpool. 1974.

特異点・特異性

寺尾 その以後、何十年もコンスタントにずっと研究しておられる訳ですね。その間にさっきの話にもちょっと関係してくるけれども、純粋数学をやっておられるという意識でもちろんやっておられて、でも結果的にね、なんかこういうことでよその人が使ってくれたとか、あるいはこちらから連携的にやれているとか、やれたとかそういう話はありますか。前もちょっと潜水艦の話とか聞いた気がするけど…。

泉屋 もともとはトムがなぜ特異点を始めたかというと、カタストロフ理論とか応用しようとしたんですよね。だからなんとなく最初から理論の応用を考えることが染みついていて。最初に学位論文書いた頃はもちろん分岐理論の基礎的な部分を構成したんですけれども、具体的な分岐理論の応用みたいなのをやろうとしたら、ちょうど同じようなことを同時期にゴルビツキー(注11)という人がわーっとやっていました。その頃西浦さん(当時、京都産業大学講師)と知り合って、西浦さんから(分岐理論の応用として)こんな問題考えてみてくれって言われたんだけれども、それもちょっとうまくいかなくて、分岐理論の応用という路線でいくとまずいかなと思ってました。ちょうど本学に戻ってきたころに、一階偏微分方程式の理論に応用する話がありました。本学の山口(佳三)先生は二階以上がご専門ですが、その幾何学的な部分に特異点論を応用するといろいろ具体的なものができるのではないかということを思いつきまして、最初は本当に純粋に幾何学的な立場でやってたら、それを見たギリシャ人(George0Kossioris,0Associate Professor, Univ. of Crete)がこういうことに応用できないかといって、ちょうど僕がイギリスに行ってる時に飛んできたんです。こういう問題考えようというように、むこうから。

寺尾 どういう問題でしたか。

泉屋 それは応用というよりは、応用よりちょっと手前の偏微分方程式の解の特異性というか衝撃波の伝播をちゃんと考えようという。

寺尾 そのこと自体は純粋数学。

泉屋 そう純粋です。ちょうどリヨンス(Pierre Louis Lions, Professor, College de France)が粘性解という概念でフィールズ賞をとる直前だったんですよね。粘性解の解の分岐をちゃんと調べようということでした。もともと動機としてはコントロールセオリーとかそういうものからあったんですけれども。それを一生懸命やって。

寺尾 それをもっとわかりやすくいうと、衝撃波という言葉も出てきたけれども、具体的な応用、ひとつ先にある応用というものについてはどんなものが考えられるのですか。

泉屋 それ自体はどうなんでしょう。

寺尾 潜水艦の出す音が、とうかがったように記憶するけど、それは別の話?

泉屋 それはちょっと後なんです。要するに微分方程式の理論て、いっぱい専門家がおられるけれども。解が存在します、解が一意ですということを言ったら、そのあとは、あまりよくわからない状況なんですよね。だけど、その解というのはいつもスムーズとは限らなくて、例えば波がひゅっと出てきたら、途中で衝撃波が出てきて解が変なことになっちゃうんです。でもそれがどう分岐するかということは難しくてなかなかよく分からないんですよね。それを一応、一階の場合の、特別な場合なんですけれどもやろうというのが、その頃の発想です。

寺尾 それがギリシャの人と一緒のお仕事ですか。

泉屋 ええ、だからまあ、純粋数学の中だけれど、一応、応用なんですよね。特異点論を微分方程式に応用しているのです。微分方程式自体はハミルトン=ヤコビ方程式ですから、もちろん古典力学にも出てくるし、最適制御理論とか、由緒ある方程式だからそれを研究さえしていけばいいんだという感じです。具体的な応用としては、例えば光学とかで、どういう風にコースティックス(caustics:焦面)というのが出てくるかということには応用されているし、あとは衝撃波の分岐を考えると、それはまあいろんなところで出てくるんですよね。コースティックスの具体例としては、光にあたったワイングラスを通じてワイングラスの影のなかでゆらゆら輝く光が作る面のことです。

寺尾 素人にもわかる実例は何かないですか。

泉屋 えーと、例えば解がジャンプするところだから、地震の地割れとかそんなのもみんなそれで考えることができます。でもその段階だと、とりあえず、まあ、微分方程式の専門家自体は応用を目指しているんですけれども、私はそこに参加したという感じで。

(注11) Golubitsky脚注9参照

出っ張りは見るだけでわかる

寺尾 でもそうすると、それが結果的にはこちらに影響を与えているということはもちろんあり得るし。前に数学連携サロンでお話されたときに、山を見たときに絵を描いて、こちらのコントゥア(contour:輪郭・外形)はこういうので、というあの辺の話はもともと純粋な幾何学の研究から出てきたということでいいんですか?

泉屋 それは微分方程式ではなくて、微分幾何のほうで、画像理論の方ですね。

寺尾 あれはどういう話でしたっけ。大雑把にいうと。

泉屋 大雑把にいうと、人の体とか顔を見たときに、凹んでるところとか出っ張ってるところがあるわけですよね。出っ張ってるところは、メジャー持ってきて測る必要もなくて、見るだけで出っ張ってるかどうか、ってのは分かっちゃう訳です。

寺尾 例えばおなかが前に出てたりすると、どうなりますか。

泉屋 ウェストってくびれてますよね。ウェストのところは双曲型になってる。でもそれ(くびれ)は写真だけで判定できちゃう。外から見て出っ張ってるってことはやっぱり出っ張ってるんです。それはなぜかということは、曲率が、見た目の、写真に写した時の、境界の曲線で計算できるというケンデリンク(J. J. Koenderink, Professor Emeritus, Utrecht University)という人の定理があります。そこの曲率ともう一つの曲率の積で計算できるという式があるんです。

寺尾 二方向から見なくてもいいんですか。

泉屋 片方はいつでも曲率が正にとれるということが分かっていて、だからこちらの方が負になっていたら、凹んでいるということになって。

寺尾 そういうと素人からすると分からないんだけれども。なんかこう二次元に見ると円に見えるものがあるとしますね、こういう風に凹んでいるかこういう風に出っ張っているかというのは、こっちから見たときには分からないんじゃないの。半球と全球があるとすると、横から見たらもちろん分かるけれど、正面から見たらわからない。

泉屋 平らなものですか。円盤?

寺尾 円盤じゃなくて、後ろもあるの、3次元球。

泉屋 でも、境界の点を問題にしている。境界点のところが出っ張っているかどうかがわかる。

寺尾 ああ、この境のところ。

泉屋 それは写真で見ればそうなっている。直観的にいつもそうですよね、壺があったら、こういうところのくびれとかは、こういう風になっていて。

寺尾 中の方は境界点ではないから、中の方は全然わからないけれども。だからそれがコントゥアの話ですね。境界点の話ですね。おっしゃっているのは、例えば山で、一番高い山は必ず見えるけれども、低い山が手前にあったら、そのコントゥアが見えれば出っ張ってるかどうか。

泉屋 馬の背があったらそこはちゃんと馬の背にみえるということを意味している。

寺尾 それは世間では当たり前のことだと思うけど、ちゃんと証明しようとすると難しいということですか。

泉屋 ガウスが曲率って定義したんですけれども、何百年も昔ですよね。でも、それを数学でちゃんと分かるというのは、1980年位にケンデリンクという人が証明しました(注12)。彼は数学者ではないんですよね。物理出身で数理心理学という「ものを見る」というのはどういうことかを研究しています。これは一つの良い例で、数学者が数学の中に閉じこもっていれば、多分そういうことは気にもしない訳ですよね。

(注12) J.J.Koenderink. Solid Shape. The MIT press. 1990.

棘をいっぱい出す

寺尾 そこで使われている数学は難しい数学ですか。

泉屋 いやそんなことないです。普通にガウスの微分幾何学が分かっていれば分かります。

寺尾 そうすると大学院生に説明すればわかるような。

泉屋 4年生でもテキスト読めばちゃんとわかります。

寺尾 でもそのこと自体、数学的には新しいことなのね。それは我々が見るときに無意識でそういうことをしている訳ですね、頭の中に微分幾何的なものが入っていると、言っても良くって、翻訳しながらやっているんですよね。人間だけでなくて動物とも関係している訳ですよね、当然ね。それは、だからそういう点で脳とも関係している訳だ。

泉屋 だから、まあ連携というのは意味があるということの一つの例。

寺尾 なるほど、数学的に高度な数学を使う場合ももちろんあると思うけど、そうでなくても、実は数学には強力なものが沢山あって、ベーシックなものと強力なものが沢山あるから、ただそこに使おうと思っている人がいなければ誰もやらない訳だし。遠くの山が見えたらどうという数理心理学の定理みたいに、数学者の立場から見れば問題意識をもともと持ってないけれども、問題意識をもてば出来る。実は数学者で、ある程度能力がある人だったら出来る問題というのはまだ沢山埋まっているかもしれないですね。

泉屋 新しい発見というのは、立場を、興味の持ち方を変えることで、得られるということはいっぱいあると思います。

寺尾 どうすればそういう問題を掘り起こせるんですかね。やっぱり他の分野の人といろいろ話をして雑談とかも結構役に立つかもしれませんね。

泉屋 やっぱりまあ、だけどいつでも興味を持っているとか。なんていうか、最近インフルエンザが流行っていて思うんですが、表面がつるつるだったらインフルエンザウィルスは全然情報を得られないけれども、棘を沢山持っていて、それで感染していく。それで、人間も棘をいっぱい出して、周りから情報を収集していくのがいいのではないでしょうか。それは、やっぱり数学を他の科学と区別してはいけないんじゃないかなというのが私の考えです。科学する精神というのは、なんか分かってやろうということだから、ただし自分の能力には限界があるから、その全ての、ああおもしろそうだ不思議だ、というのが自分が今研究している数学で解明できるかどうかっていうのは考えます。けれども、そういう立場でいうと何十本という可能性があるものの中で、その中から偶然一つでもいいんじゃないかと思うんですよね。自分のやってる数学がそこと関係するものが一つでもあるとすればそれで良いのではないかという、まあ、なくても良いんですけど、あったらばより幸せだというくらいのことです。それで良いのではないかなという気がするんです。

抽象と具象

寺尾 さっきもちらっと言っておられていたけど、昔、70年代、80年代の頃、結構抽象的な数学がはやった時期がありました。一番極端なブルバキ的なものとか、ファウンデーション(注13)なんかも少しそれに近いかもしれません。抽象的な数学というのはある意味とてもパワフルで、でも、ある時期からもうちょっと具体的な方向に、数学が具象化した時期というのがありました。ちょうど美術なんかでも抽象画っていうのが流行ったり、具象画が流行ったり、ある程度のサイクルみたいなものがあると思うけれども。多分泉屋さんも同じだと思うけれども、私は若い頃は、抽象数学が全盛の時代で、解析なんかでもそれこそ不等式で評価するのではなくって、むしろ代数幾何的なSpecanというのがあって、なんでも代数的に変えちゃえば良いんだみたいな話もありましたね。偏微分方程式なんかも結構、代数解析なんかであって、あれは非常に成功した部分も多いと思いますけど。今は具象化のレベルは明らかにあの頃よりは高いけれども、今後どういうふうな感じになるでしょうか。

泉屋 どうでしょうか。まあ繰り返しだから。ある程度具体的なものを得て、それを整理する意味で抽象化が必要で、それがある程度行き詰ったらまた具体的なものに戻っていくんじゃないかなという気がします。

寺尾 泉屋さんの数学自体も今までもう何十年もありますが、その中である程度抽象的になった時期とかありますか。

泉屋 最初の頃は時代背景がそうだったせいか、抽象的なものを目指してたような気がしますけど。

寺尾 最近は物理とっていう話もありましたけど、そういう点では割と具体的というか。

泉屋 具体的というか、でも物理でも割合、宇宙論とか素粒子論とか関係しているところに今ちょっと興味があるので、いわゆる数学者が主流になってやっている素粒子論とかストリングセオリーの応用とかとはちがうんですけれども。もっと特別な部分だけ取り出してきてという感じで。ブラックホールとか、もともと天文学好きだったから。

寺尾 ブラックホールっていうのは、やはり特異点みたいなものなんですよね。

泉屋 ブラックホールの境界というのが、先ほどの山のコントゥアと同じようなものとして捉えられて、なんかすごく最近それがおもしろくてやっています。

(注13) Foundations of Algebraic Geometry 脚注5参照

歳をとると夢が見られる

泉屋 ぜひ言いたかったのは、最近だんだん歳とってきてもう少しで60になるんですけど、歳とるってのは別に悪いことじゃないなあというのが最近の感想です。

寺尾 どういう意味ですか。

泉屋 もちろん体力も落ちてきて、能力もなんとなく計算スピードとか落ちてくるんですけど、若い頃は特にこういう仕事してると、研究成果を上げなければならないという感じがあって。

寺尾 プレッシャーはいつもありますよね。

泉屋 でも歳とると夢見れるというのがあって。

寺尾 プレッシャーないですか。

泉屋 だんだん無くなってくる感じがして。一緒の共同研究をしている人が同世代の人だと、我々はもう別に夢見てればいいんだから面白いと思ったものやればいいんじゃないかというのがあります。あせってすぐ結果を出さなくてもいいんじゃないかという話を最近よくしていて。だから面白いものをやると。ただし、若い人と共同研究する時は、その人にすぐ出来そうな問題探してということになるんですけれども。でも歳とるのはそんなに悪いことじゃないなという気が…。

寺尾 我々の若い頃は、ある程度歳とった先生は、それこそ40過ぎた頃の先生、今の我々から見ると若いけど、そういう人というのはあんまり論文も書かないでみたいな先生も結構おられた。そういう方に比べると、今はある意味でどんどん数学者の寿命が長くなっていて、50、60になっても、或いは60過ぎても論文をコンスタントに書いてやってないと、なかなか(認められない)というプレッシャーはむしろ高まってる気がしますけれども。

泉屋 でも、書くこと自体は私は好きだし、研究発表したり、結果出すことは好きだから。それがね、例えば昔はやっぱりこういうことをやったら、ちゃんと認められなきゃいけないというような意識があったし、それをしなければやっぱりいけなかった。だけど、だんだん自分がこれを面白いと思ったら誰が何を言おうと、もう面白いんだからそれをやるんだという・・・。

寺尾 でも、夢を見てると夢だけで論文にならないということはあるじゃないですか。泉屋さんの場合無いかもしれないけれど。夢にもよるかもしれないけれど。例えばリーマン予想とか、なんか夢を持ってると、論文にならないと。昔は、ある程度歳をとって、まあ、ある程度ポジションもあれば、そういう人が10年くらいそれに掛かりきりでも良かったかもしれないけど、最近はグラント(研究助成金)もとれないとか、そういうプレッシャーはありますよね。

泉屋 それはありますけどね。

寺尾 夢を見ながらコンスタントに成果があがっておられるならよいけど。そういう論文を出さなければならないというプレッシャーは、昔より今の方がずっと強くなっていて。私が昔、アメリカにいた時は、アメリカでは結構そういうのやらなければならなくて大変だなって思っていて、日本に戻れば、教授になっていたら、無理にやらなくてもいいなと思ってました。でも、日本でも最近は、昔は論文の数とかサイテーション(被引用数)とか色々言わなかったのが、言うようになっちゃって。だんだん世知辛くなってきちゃって。どうですか、こういう傾向は。

泉屋 まあそうですけどね。そういう意味だと、若い人と共同研究するといくらでも論文は出来ますね。二通り使い分けてる感じはするけれど。アイデア出して若い人とこういう研究する、という感じで進めていますけど。

寺尾 それは泉屋先生お上手ですよね。それで自分の夢の方は大きな夢を見れば、特に論文をどんどん量産しなければならないというプレッシャーはなくて。

泉屋 そんなにやらなくてもいいけど。でもアイデアが出来たら、やはり発表しないと。多分頭の中で考えただけでは、それこそ夢のままで終わってしまって、本当に寝て見る夢と同じで。そうじゃなくてある程度発表して、他の人からのリアクションを見てということが必要だから。夢といってもいつまでも見てる訳ではなくて、それを話して、例えば物理に関係することだったら物理学者がどういう感想を持っているかということを知りたいと思うので、そういうことはどんどん発表していきますけど。

寺尾 確かにこまめに書くというのはやっぱり大事ですよね。こまめに書かないと自分でも忘れちゃうし、こまめに書くと、案外それを誰かが見ていて何かに使えるってこともあるし。

泉屋 数学者って孤独なものだ、というのが世間の印象にあるけれども、そうではなくて私にはやはり人間関係が一番大切で。

寺尾 泉屋さんは海外にもよく行くし。そういう点では人と繋がるというのはよく心得ているし。

泉屋 それを通して数学やっているんだと、私は思っているから。

寺尾 数学者って極端な人も多いので、人とほとんど喋らずに自分の家で研究している、あるいは研究所に来て、一日中研究してただ帰るという人もいる。それはその人のスタイルでいいんだけれど、数学者であっても、他の数学者を通じて他分野の学者と繋がったり、世間と繋がっていくということも大事ですね。やはり連携ということで最後に話がまとまりましたね。本日はどうもありがとうございました。

泉屋 ありがとうございました。

日時: 2010年1月7日 10時30分~12時

場所: 理学部3号館応接室