RCIM LETTERS Vol.1 No.1 (2008年12月)

RCIM LETTERS Vol.1 No.1   e-prints

RCIM LETTERS Vol.1 No.1(PDFファイル; 8.4MB)

センター長 津田一郎教授インタ ビュー Web版

なぜ北大にRCIMが設立されたか?

—北海道大学数学連携研究センター(以下、RCIM)の設立経緯をお聞かせください。なぜこの時期に、北大に設立されたのでしょうか?

RCIMは2008年4月に発足しました。北大では、2003年に文部科学省「21世紀COEプログラム」の「数学、物理学、地球科学」の分野において、「特異性から見た非線形構造の数学」が採択され、昨年までの活動を通して、非常に高い中間評価と最終評価を得ました。その中で、私は「先端研究のための数学センター」を担当しました。これは、(北大内の)他分野の研究者が自分の研究を行っている時に出会う数学的に困難な問題、解決できれば研究が進むという問題を知らせてもらい、その問題を北大の数学者がセミナーをしたりして研究し、可能なら他分野との共同研究に発展させ、解決を目指すシステムです。これは、特に、他分野の研究者や他大学の数学者から高く評価されました。そうした背景があって、山口理学研究院長と西浦電子科学研究所教授が尽力され、発足に至りました。

—組織についてお聞かせください。

専任はおらず、北大の数学、電子研、工学部、人獣センターの教員合わせて17名が兼務し、構成されています。兼務ですので100%というわけにはいきませんが、時間をつくって定期的に集まり議論しています。センターとして独立しており、大学直下の組織です。

—RCIMの予算についてはどうなっていますか?

今年度は立ち上げ経費と来年度以降に大きなプロジェクトを申請するための準備資金をいただいています。来年度以降は継続的に予算がつく見込みがないのが問題ですが、RCIMの名前で外部資金によるプロジェクトを申請していければと思っています。外部資金を中心にまわしていくことになります。

—RCIMのある場所はどこですか?

現在、建物はありませんが、北12条にある電子研改修後、数部屋を使用できることになっています。また、この創成科学共同研究機構の中に、いろいろなセンターが集約されるという話もあり、RCIMがそのひとつになる可能性もあります。

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数学連携サロン

—具体的には現在、どのような活動を行っているのでしょうか?

月に1回程度、「数学連携サロン」を開催しています。これは2種類ありまして、ひとつは他分野から、企業関係者も含め、数学の協力を求めたいという方に講演していただくもの、もうひとつは数学のサイドから数学者が行うもので、応用分野に興味がある方、または実際にやっておられる方で苦労話を含め、共同研究の成果などを発表していただいています。双方向から議論していく試みです。また、活動の広報誌『RCIM Letters』を年に数回発行し、学内外へ配布することを考えています。今回がその第1号です。

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数学と他分野との連携(米国の場合)

—数学と関係諸分野の連携、共同研究という動きは日本国内でも数年前から見られるようになってきました。この流れの中でRCIMのもつ意味はどのようなものでしょうか?

それは、非常に重要なご質問です。少し、長くなりますが、ご説明しましょう。実は、数年前に文科省の方から相談を受けました。その方は薬学を専門としており、米国へ行き、生物研究所の動向を調査した後でした。米国の生物、薬学、製薬会社関係者から、こういった分野は数学を身につけないと発展しないと至るところで言われたとのことでした。この方は、非常に驚いて、そこで、「日本ではどうか」ということで、はじめに当時北大数学の教授であった儀我美一教授(現在、東大数理科学研究科教授)に相談され、生物学者と研究した経験のある私がご相談にのる事になったわけです。数学者は身を粉にして研究に没頭するので、他の分野へ出かけて行ってということはほとんどありません。しかしながら、米国では、98年に“Odom report”が出され、数学と諸分野の連携が強くうたわれました。諸分野に数学の力を注入することが大事で、そうすることで数学自体も発展するというわけです。数学のプロジェクトは計画通りにはいかず、どの分野でどのような結果が出るか予測できない性格のものなので、NSFが中心となって数学全般の予算をぐんと上げ、投資しました。その結果、特に生物、薬学の分野で数学を用いることによって飛躍的な発展を遂げました。数学的な思考、また、厳密化することで、今までわからなかったことを解決できたわけです。このこともあり、米国では、数学者はさらに尊敬されるようになりました。

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数学と他分野との連携(日本の場合)

これは、日本の状況とは全く異なるものでした。というのも、日本では数学は難しい、敷居が高いと見なされがちで、数学者も自らの研究に没頭し、外に出て行こうとはなかなかしません。文科省担当者は、このような米国と日本の違いに危機意識をもって質問に来られたのです。我々も個人的には同じような危機意識をもっていました。その点で一致して何とかしなければいけない、ということで、それをきっかけに色々な動きがでてきて、そのひとつの結果として、文科省科学技術政策研究所から『忘れられた科学−数学』というレポートが出されました。これは大変ショッキングな内容であると同時に、(統計の取り方に問題があるという意見はありますが)ある種の本質をついたものでした。日本の純粋数学のレベルは非常に高いので、それを応用できれば、格段に他の学問分野が進歩することは容易に想像できます。数学者が身近にいればよいと考えている他分野の研究者が多いというアンケートもありました。非常に示唆に富むレポートでした。それらを受けて、北大では、寺尾先生が中心になって、昨年末から今年3月まで、文科省委託業務「イノベーションの創出のための数学研究の振興に関する調査」が行われました。これは、数学研究と諸科学・産業技術との連携に関する近年の関心の高まりを反映し、国内外の現状を把握し、連携事例や施策について調査を行うもので、最終的に報告書を作成しました。また、西浦先生はJSTの戦略的創造研究推進事業(CREST/さきがけ)において研究領域「数学と諸分野の協働によるブレークスルーの探索」の総括として、数学と諸分野の協働研究を推進されています。アドバイザー(私もその一人です。)がいて、若い研究者も巻き込んで、他分野に数学の力を注ぎ込むだけでなく、数学にもフィードバックがあるような、新しい分野が開拓される成果が出てきています。つまり、双方向の流れが生み出されています。1年経ちましたが、このJSTのプロジェクトは、順調に進んでいるといえます。そうした流れを受けてこの4月にRCIMが設立されたことは非常に重要な意味があると思っています。

—RCIMとJSTの西浦プロジェクトとの関係はどのようなものでしょうか?

組織が異なりますので、直接の関係はありませんが、私もJSTのアドバイザーになっていますし、西浦先生もRCIMの運営委員および兼務教員です。RCIMを中心に新しいプロジェクトがどんどん生まれてくればよいと思っていますし、両者の目指すものは同じです。

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合意形成言語としての数学

—創成科学共同研究機構の中のセンターのひとつとなった場合、そこでのRCIMの役割としては何が期待されますか?

数学は他分野をつなぐ合意形成言語です。この合意形成言語というのはとてもうまい言い方だと思います。つまり、数学が横糸となってさまざまな分野をつなぐ機能を担っているわけです。数学は敷居が高いと敬遠されますが、やはり厳密なものはそうならざるを得ません。数学は言葉を厳密に定義しています。数学者は言葉使いにうるさいですが、それはなぜかというと、言葉をきちんと使わないと概念形成ができないからです。数学がこうした伝統を一番長くもっています。どの学問もそうすべきだと思います。言葉を厳密に使うことで、概念が形成され、思考が進みます。数学の専門用語は難しいですが、例えば、私が数学辞典を読むとわかる部分というのはかなりあります。これは数学を勉強してきたという歴史もありますが、他分野の人も、少し易しめの辞典があれば、それを読むことで、概念が非常に明確になると思います。数学辞典を見ていつも感心するのが、読むことで今まであいまいだったことが非常にはっきりして概念形成されることです。きっちりとした概念形成ができると思考が進むわけです。きちっとやる習慣がつけば、自信にもなります。海外で発表するときも、数学のバックグラウンドがあるというだけで、評価も高くなります。ですから、そういう意味で諸分野の合意形成言語になるのは数学だと思っています。数学には諸分野をつなぐ横糸となる役目があるのです。RCIMができたことで、北大内のいろいろな研究センターが共通認識を持てるようになれば、数学と諸分野だけでなく、諸分野同士の共同研究も促進されるだろうと思っています。では、学内でそういったアクティブな動きが現在あるかというと、まだ1年目ですし、ありません。

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地球温暖化と数学

—今、合意形成言語としての数学と言われて、私も賛同するのですが、何かわかりやすい実例はありますか?

地球温暖化についての例を挙げましょう。われわれは地球温暖化を感覚的にとらえています。いろいろな段階があります。変動のスケールが人間の時間・空間のスケールよりもはるかに大きいので、われわれには予測能力がありません。そういうものに対して何が有効かというと、数学的な定式化なり定量化で、そのうち定量化が極めて大事です。一見、逆説的ですが、こうしたわからないものは定性的にしかわからないと一般には言われていますが、逆に定量化することでどういう意味の地球温暖化なのか、CO2はどの程度危ないか、心配なのか安心なのか、どのくらいのスケールの変動なのか、10年20年なのか100年200年なのか、それとも1万年のオーダーなのかときちっとした議論ができるはずです。最近、地球温暖化を含め地球のさまざまな変動に対し、心ある地球物理学者は数学に非常に興味を持っています。数学の中で、複雑なシステムを扱う数学についてすごく知りたがっています。今、申し上げたことですが、彼らは独自の定式化はできるのですが、定量化はどうしたらできるのか、いまひとつわかっていません。そういうところに数学的思考を使うことである程度定量化はできます。議論がきちっとした形で行われることで、政策決定、あるいは経済の話にもつながっていくわけです。全て定量的データをもとにして議論をすれば、まさに合意形成言語となり得るわけです。非常によい例だといえます。

—なるほど、20〜30年前までは、地球温暖化と主張する人もいましたし、そうでないという人もいました。感覚的に雪が少ないなどとは思えるけれども、それでは全く説得にはならないので、それぞれの政治的立場で、主張している混乱した状況でした。それが、ここ5〜6年ほどでしょうか、世界中が地球温暖化は現実に起こっていると考えるようになりました。科学者のほとんどが地球温暖化の原因は人間の活動にあることで合意し、先日行われた洞爺湖サミットでも世界主要国が合意しました。こうした背後にも数学の力はあるということですね。

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捕鯨禁止とクジラ方程式

はい、すごくあると思います。数学はいってみれば裏方ですので、表に出てきませんが、実際にそういうものを持っているかいないかで全く違います。もうひとつ、例を挙げましょう。私が院生だった頃ですので、30年ほど前の話ですが、当時、日本の捕鯨が禁止されました。捕鯨に賛成だったのは、記憶が間違っていなければ日本とノルウェーだけで、他の国はほとんど反対の立場でした。特に、米国は急先鋒でした。なぜ、アメリカが急先鋒になれるかといいますと、数式を持っていたからです。私たちは、「くじら方程式」と呼んでいたのですが、つまり、ポピュレーション・ダイナミクス(人口動態学)を用いたのです。どういう環境のもとで、クジラとミジンコ(クジラのえさ)の生態系のプレデーター・プレイモデル(捕食者・非捕食者モデル)で、人口がどう増えるか、または減るかを式にしました。米国はその方程式に絶滅解があると主張したのです。絶滅解はあるのですよ、たいていの場合は。ただ、その絶滅解が安定なのか、絶滅解しかないのかというのが問題なのですが、現在の海の環境は絶滅解のところにあるので危険である、つまり捕鯨をやってはだめだという論調だったと思います。このあたりは非常に巧妙でした。

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日本はなぜ反論しなかったのか?

日本側はなぜ何も反論しなかったのか、私には全く理解できませんでした。反論したのかもしれませんが、ここからは想像の域をでませんが、これは恐らく、日本側が数学を知らなかったからなのではないでしょうか。また、ノルウェーも加担しなかったのではないでしょうか。くじら方程式についてはもう忘れてしまいましたが、ポピュレーション・ダイナミクスというのは環境条件を変えることで変わってしまいます。海の生態系はきわめて複雑で、ローカルなところだけをみていても正しい式はつくれません。広くみると結構間違っていることもあり、方程式をある条件のもとで解いて、この条件であるならば危ないとか、この条件に近いので警鐘を鳴らすというのは説得力があります。反論するためには、その方程式を導いた前提条件が違うとか、日本側が調査したらもっとこうなるとか、絶滅解はあるが別の解もあるとか、絶滅解は存在するけれども不安定だなどといえれば、もう少しまともな議論になったと思います。今でももめていますが、その後、ミンククジラ、つまり調査捕鯨に限っては許され、それに民間団体が反対するといった状況になっています。非常に感情的になりやすい問題です。われわれの食糧にもなり、国の利害も絡んでいるからです。そこに数学のベースで議論する段階がどこかであって、ある点に関しては皆が認めた、その先は政治決着というところまで持っていければ、もうちょっとまともなことになるという気がしています。反論するためには、科学的証拠を出すことが必要ですが、これはいつもできるわけではなく、複雑で非常に難しいのです。しかし、科学は前提条件があってはじめて結論があるわけですから、この前提のもとでという条件さえ頭に入れておけば、そんなに間違った議論にはならないと思います。そこに数学が使えるといえます。

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物質の階層性

もうひとつ、OECDのGlobal Science Forumに、先日、出席しました。高次複合系といいますか、あるいは複雑科学を現実の危機的状況にどう応用したらよいかというガイダンスがありましたが、日本人と外国人との間に認識のずれがあったような気がしました。日本側からは東大の先端研と京大の防災研の先生が出席され、お二人の話は非常によかったのです。システムとして複雑なものをどう捉えるかということで、その捉え方は正しいものでした。どういうことかと言いますと、通常われわれが物質科学をやっていますと階層性があります。生物もそうですが、原子、分子のレベルからそれらが集まったレベル、例えばもっと下には素粒子があります。普通は素粒子と原子、分子レベルでは切り離されています。つまり、素粒子でへんなことが起こっても分子では何も起こりません。分子も集まってくると違うわけです。生体の高分子、たんぱく質を論じるのに1個の原子、分子を論じてもわからないのです。これが階層性です。さらにたんぱく質が集まって、また原子、分子が集まって巨視的な物質をつくったとき、巨視的な物質の性質は原子、分子の性質だけでは書けないのです。書けないどころか、原子、分子で起こっているいろいろな現象は、いきなり集合体のマクロな性質に反映しません。逆に、マクロで起こっている現象をいくらつついても原子、分子はびくともしません。そうした時間・空間がきれいに分かれています。われわれはこうした分かれた現象ばかりをこれまで扱ってきました。数学もそこに働きましたし、物理のきれいな理論も作られてきました。

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ミクロとマクロが切り離せなくなってきている

そういうレベルの話ではよかったのですが、生体を見ても、現在の社会現象を見てもそうですが、ミクロとマクロが切り離せなくなってきています。例えば、1個の生体、まとまったかたまりで、中に心臓や脳や腸といった器官があるものを考えましょう。それらは神経細胞や筋肉細胞から成っています。体の全体の調子が悪くなった場合、ミクロなところに影響を与えるかというと、与えるわけです。逆にミクロなところで調子が悪くなると、全体の調子も悪くなります。心的状態もそうですね、ただ、心的状態と呼べるものがミクロかマクロかは問題ですが。お酒や薬一滴飲むと心的状態が変わる、これも時間・空間の階層性があれば起こらないわけですが、実際にはミクロとマクロがつながります。つまり、社会もそうですが、ミクロでちょっとしたエラーが起きると、それがミクロのレベルだけにとどまってくれれば何も問題はないのですが、複雑なシステムの中ではミクロのエラーがセミマクロ、マクロとどんどん広がってしまいます。どこにどう広がるかわからないので、どうやって封じ込めるかが大事です。何か突発的に事件が起こったとき、地球環境問題もそうですが、たとえば大地震がいつ起こるかというのはラフにはいえますが、いついつ起こると精確にはいえません。たとえば30年以内にこの地域で起きるとはいえるそうですが、何時何分に起きるとか、何年に起きるということすらいえません。しかし、いつかは起きるわけです。どこかのレベルに原因があるわけで、それがあらゆるスケールに影響を与えてしまいます。こういうことをどこまで数学で扱えるかが焦点のひとつでした。すぐに答えが出る話ではありませんが、確かに重要な問題です。確率論や最近、エルゴード理論で発展してきた数学の成果を使えばある程度のことは今でも言えますが、十分ではありません。複雑系をどう数学的に捉えて、いかにして予測理論なり記述の高い理論をつくっていくかは非常に大きな問題です。まさに数学はそういうところに使うことができ、必要とされる合意形成言語だと考えます。現にOECDという世界的レベルで、また経済にも関係があるということで関心がもたれ、注目されるようになってきています。一方で、ある意味いろいろなところとつながると困った問題も生じ得るので、慎重にやらなければいけませんが、数学がもうひとつ殻を破って大きく発展するチャンスだと思います。

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金融危機と数学

—今のお話を聞いて思ったのですが、今回の金融危機も、ある時、一部で発生したら、どんどん大きくなり、どこでどう終息するのかわかりませんが、これも複雑系と関係があるのでしょうか?

まさに複雑系と関係があります。今回のOECDは米国のNSFの方が座長で、このフォーラムが、ちょうどよい時期(金融危機の最中)に行われたと言っていました。なぜこんなことが起きるかといいますと、金融システムの特徴に原因があります。仮に、はっきりした構造がシステムの中にできあがっていて、それぞれの構造が役割をもっていて、この構造とこのファンクション(機能)が1対1で対応しているというようなきれいな層が社会にできあがっていれば、金融危機は起こりません。ところが実際は違っていて、どこかの名も知らない投資家がおかしなことをやった途端に崩壊してしまうような、非常に不安定なシステムなのです。お金がまわっている間はいいのですが、どこかで滞った瞬間にガラガラと崩れてしまう、一部だけならまだいいのですが、グローバル化してしまったために、全世界に影響が及び、ひどい場合は国が一挙に破綻しかねない。アイスランドのような例もあるわけです。こういった危うい構造を社会が内包しているということを認識しなければなりません。感覚的にではなく根拠を持ってしっかりと認識するには、数学のバックグラウンドが必要だと思います。

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どういう数学が必要になるかわからない

—米国の田舎で、ある人が家を買おうと借金した場合、ドバイの人から間接的に借りているとか、われわれの年金の一部がまわっているとか、このお金がどこからどうやってきているのかが本当に複雑で誰もわからず、全貌がつかめない状況だといわれていますね。

昔でしたら、われわれが銀行に預けたお金はそこにとどまっているだろうと考えるのが、今ではとんでもないところに、米国で何か買うときに使われていたりしているのです。先ほども申し上げたように、ちょっとしたエラーがあっという間に大きくなってしまうという特徴があります。

—どこかで封じ込めるようなシステムを作り上げることができれば、金融システムも将来、安定するのではないでしょうか。

そういうシステム論ができていないのです。長らく複雑システムといわれてきましたが、いうだけである場合が多いように思えます。ある程度研究がなされ、特徴もいわれていますが、どう押さえ込むかというのは全然わかっていません。

—金融工学も難しい数学を使っていますが、利潤を最大化することに目が向けられており、小さなリスクがたくさんあって、それが複合化するととんでもないことが起こるのです。先日、私は経団連主催のフォーラムに参加し、そこで野村證券の方が、金融工学に使われている数学が間違いで金融危機が起こったわけではなく、使われている数学は正しいのですが、未発達で完全ではないところがあり、むしろそういった部分を補っていかなければならないとお話されていました。リスク管理的な数学理論ができれば今回のような金融危機がなくなるのではないかとのことでした。

そういった意味でも、今後、どういう数学が必要になるかわかりませんし、考えていく必要があります。分野を定めずに、いろいろな分野でやっていくのがよいでしょう。

もうひとつ、別の心強い動きがあります。高橋陽一郎氏(京大数理解析研究所前所長)が中心となって、国際高等研究所の中で数学と諸科学の連携に関する企画研究会が2009年4月に発足予定です。これは、最低3年間続くことになっています。国際高等研究所は民間研究所(財団法人)ですが、ここでも数学と諸分野の協働を目指す活動が開始されるのです。だいぶ、数学の連携の形の土台が国内でできてきたといえます。

余談ですが、これは数学者以外にはなかなか理解していただけないところですが、数学者は放っておけば、つまり周りが成果を過剰に期待しなければ、意外と早く成果を出す、という傾向があるように思われます。他方で、工学系の研究者は、はっきりとした緊急の目標を定めるととてつもない力を発揮するという傾向があるようです。互いを知ることがまず重要なことでしょう。

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「これも数学だ」

—数学とは何でしょうか?ここからここまでが数学だ、という定義は難しいですが、どう思われますか?

従来の数学者の数学の定義は排他的な傾向があるように思います。もっと、「これも数学だ」と言うべきと思います。私は物理学出身ですが、私が今研究していることはいわゆる純粋数学ではありませんが、数学だと思っています。

—今、言われたように先生は物理出身ですが、数学を研究の対象にしようとされたのは、いつ、どのようなきっかけからなのですか?

大学院まで物理学を専門にしていました。が、昔から数学が好きでした。大学院生のときに、カオスの研究を始めましたが、数学科の知り合いと議論したり、山口昌哉先生とセミナーを一緒に行なったりしていました。カオスに関しては当時は物理の実験は多く出ていましたが、物理の理論は非常に少なかったので、数学者の論文を読む機会が多かったのです。それが一つのきっかけでしょうか。さらに、博士論文を書いているときに別の角度から数学や数学者に文献上で出会いました。具体的には、BZ(ベローソフ=ジャボチンスキー)反応という化学反応の実験でカオスらしきものを見つけた人がいるのですよ。物質の濃度の変化を、要するにマクロな量として濃度を変数とし、濃度の変化を記述する方程式を反応回路から導きました。解析し、シミュレーションしていくと、カオス的なものが見えてきました。当時は、BZ反応が一つの典型例ですが、非平衡の統計力学をつくるための現象論を一生懸命やっていた時期でした。非平衡といっても平衡に近い非平衡もあります、久保亮五さんの線形応答理論はその枠組みでした。他方、平衡からうんと離れた非平衡は現象があまりにもバラエティが多すぎて理論ができていなかったのです。今でもできていません。典型的な非平衡の現象を徹底的に研究しようと思いました。レーザー、半導体を対象にやっている人もいましたが、私はたまたま化学反応でカオスが出るという実験があって(当時あまり知られていなかったものですが)、それが本当かどうか数学的モデルをつくって解析しようと思いました。それが、博士論文になりました。これは非常に具体的な論文でした。そして、何を思ったか、自分は物理博士ではなく、理学博士だと思ったのです。理学博士であるならば、理学全般のことを考えて、自分が今やっている個別事象を位置づけるべきだという意識があり、イントロダクションにレビューを書こうとしました。そのとき知ったのが、マンデルブローの非決定性に関する数学です。彼のフラクタル幾何学に関してはすでに勉強していました。他にも色々なものを勉強しました。

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短期記憶とカントール集合

認識の問題に興味を持ち、意識と記憶の相互作用をやろうと思いました。やはり脳をやろう、と思ったのです。当時、書店にある脳関係の本でおもしろいものはあまりありませんでした。当時、物理で脳をやろうとした人としては、ヤリイカの神経軸索を研究しておられた松本元さんがいます。これは典型的な非平衡の例です。他に、九州の林初男さんはイソアワモチの巨大神経について研究しておられました。ただ、これらは神経一本の話で、なかなか認識、認知といったところまでいきません。また、だいたい認知をやっている人は心理学出身ですが、そっちはしんどいと思い、脳から入っていきました。こういう複雑な問題は数学的にやるのが一番なのです。私は脳研究を始めるに際して、脳を研究するとはどういうことかをまず考えました。結論を言いますと、脳は外界を解釈している、という点がまず第一点。それを研究するには研究方法は勢い解釈学的にならざるを得ないだろう、ということが第二点。従って、数学的な思考方法を抜きにすると全てがあやしくなる世界である、と。現在は、記憶のメカニズムの解明に肉薄しつつあるといいたいところです。実は、実験でこの前、予測していた結果が出たのです。ラットの脳を使って実験し、短期記憶の構造がカントール集合であることを、数学的モデルを使って、シミュレーションできました。神経回路のリアリスティックなモデルはなかなか解析が難しく、ひとつの仮説だったのですが、実際の神経でもカントール集合が見つかりました。短期記憶のあり方としてそうしたものがひとつあるとわかりました。やっとそういうところまできました。

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思考とカテゴリー論

もうひとつは思考についてです。10年ほど前に理論をつくってはいました。活動のデータにはカオス的なものがちらちらと見えてはいますが、まだはっきりはしません。数学的な部分はむしろ、タスクをどう組むかというところに関係していて、物事を分類する仕方にカテゴリー論が関係しています。サルにこういうタスクをやらせれば、こういうことがわかるのではないかという理論です。サルが具体的には何を見てどう反応するかというものです。ある絵を見せて、次の絵を見せて、またその次の絵を見せて、1枚目と2枚目は連想でき、2枚目と3枚目も連想できるけれども、1枚目と3枚目はできないとか。最後にこれを見せるとエサを与えるとか、正解でエサがもらえる場合と正解だけれどもエサがもらえないという場合も作っておきます。そのときに、エサがもらえる最初に出た刺激を見た途端にこれはエサをもらえるタスクなのか、エサはもらえないけれども、正解しなければいけないタスクなのかサルは判断しないといけない、というか判断していると思えるような行動をしているのです。これを反応時間等で調べます。細胞の同時記録を取って、活動のデータを分析しなければなりませんが、まだできていません。報酬をもらえるかどうかでどの絵を選ぶかを判断していると考えられる反応を示す細胞があります。正しい絵を選んでも報酬をもらえない場合もあります。これらの違いがわかって、サルは推論していると考えられます。

—カテゴリー論、カントール集合は数学科で習いますが、応用はなく抽象的に扱うだけです。それが身体や脳の中で活動しているとしたら非常に面白いですね。逆に脳の方からさまざまな活動を調べ、新しい数学的概念が生まれるともっと面白いですね。

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アフィン変換が見えた

記憶メカニズムをデータ処理すると、アフィン変換が複数出てきて、それを切り換えることで記憶を埋め込んでいる、そして、切り換えることでカントール集合も生成しているのです。2段階で、まず、脳でアフィン変換を生成し、脳細胞で切り換えることでカントール集合を作り出し、カントール集合上に入力の時系列、エピソードが埋め込まれているのです。このアフィン変換が見えたことは非常にうれしかったです。

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RCIMは次の段階へのステップ

—エキサイティングなご自身の研究のお話をありがとうございました。最後に、RCIMが目指すもの、夢は何でしょうか。また、今後についてはどのようにお考えですか?

理想像を申し上げますと、予算がつき、専任が何名かいる研究所ができることです。日本国内にある数学研究所は、統計数理研究所と京大の数理解析研究所の2か所のみです。他のアジア諸国を見ますと、インドでは、ここ10数年で数学が飛躍的に発展しています。他分野の研究者も数学の基礎があって、その上でディスカッションしています。韓国、中国、台湾にも研究所があります。日本には、もう2、3か所あってよいくらいです。我々のRCIMが呼び水となって、新しいプロジェクトを打ち出していければよいと思っています。また、設立されてすぐ言うのはおかしいですが、RCIMの役目は短期的なもの、次につなげるためのステップと考えています。どれだけの活動を行い、成果を出せるか、今後数年が勝負です。数学全体に目配りできる体制をつくっていきたいと思います。

—本日はどうもありがとうございました。

日時: 2008年11月5日(水)10:30〜12:00

場所: 創成科学共同研究機構 電子科学研究所 5F 津田教授室

インタビュアー: 寺尾宏明教授(理学研究院・数学連携研究センター)